土屋喬雄(読み)つちやたかお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土屋喬雄」の意味・わかりやすい解説

土屋喬雄
つちやたかお

[生]1896.12.21. 東京
[没]1988.8.19. 東京
経済史学者。日本資本主義論争における労農派論客。 1921年東京帝国大学卒業。 23年同大学助教授,27~29年の欧米留学を経て,39年教授。 33年『改造』に「徳川時代のマニュファクチュア」を発表。幕末マルクスのいう「厳密な──本来的な──意味におけるマニファクチュア時代」と規定した服部之総の「幕末厳マニュ段階説」を批判し,マニュファクチュア論争を開始した。論争自体は「『資本論』の誤読によるもの」 (大内力『経済学における古典と現代』,1972) であったが,この論争を契機に幕末農村工業に関する実証研究の水準は飛躍的に高められた。 35年『帝国大学新聞』に調査報告『名子部落を訪ねて』を連載。山田盛太郎が行なった日本の小作制度=半農奴的という規定を実証面から批判した。 44年東京帝国大学教授を免官となるが 52年東京大学教授に復職。退官後,明治大学教授,駒澤大学教授を歴任日本経済史を担当し,渋沢栄一に関する研究などを通して日本資本主義成立過程に独自の理論を構築した。『明治前期財政経済史料集成』 (21巻,1931~36) ,『渋沢栄一伝記資料集』 (47巻,44~71) などの明治期の資料整理に果した業績も大きい。著書は『封建社会崩壊過程の研究』 (27) など多数

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「土屋喬雄」の意味・わかりやすい解説

土屋喬雄
つちやたかお
(1896―1988)

経済史学者。東京市牛込(うしごめ)区(現東京都新宿区)に生まれる。第二高等学校で学び、1921年(大正10)東京帝国大学経済学部を卒業。同大学の助手、助教授を経て、39年(昭和14)教授。日本経済史を専攻し、唯物史観の科学的方法を取り入れ、第一次史料を実証的に分析して幕末・明治期経済史研究を発展させた。33年から始まった講座派との資本主義論争では、労農派の代表的論客として、新資料を次々に提示し注目された。また、資料の編集・復刻に努めたほか、多くの会社史・銀行史刊行にも参加した。66年(昭和41)朝日賞を受賞

[寺谷武明]

『土屋喬雄著『日本経済史概要』(1937・岩波書店)』『土屋喬雄著『続日本経済史概要』(1939・岩波書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土屋喬雄」の解説

土屋喬雄 つちや-たかお

1896-1988 大正-昭和時代の経済学者。
明治29年12月21日生まれ。昭和14年東京帝大教授。幕末-明治期の日本経済史を専攻し,日本資本主義論争では労農派の中心的な論客。戦後明大・駒沢大教授,渋沢栄一伝記資料刊行会理事。昭和63年8月19日死去。91歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は大原。著作に「封建社会崩壊過程の研究」など。

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世界大百科事典(旧版)内の土屋喬雄の言及

【マルクス経済学】より

…これがいわゆる〈二段階革命論〉であったが,それが日本共産党のいわゆる〈32年テーゼ〉とぴったりと一致することは,周知のことがらであった。 これに対して,雑誌《労農》に結集した山川均猪俣津南雄,向坂逸郎(1897‐1985),大内兵衛櫛田民蔵,土屋喬雄(1896‐1988)らの学者は,総じて労農派と呼ばれたが,彼らはほぼ次のように主張した。明治維新は一種のブルジョア革命であり,したがってそれ以後,日本社会の構造は土地所有よりも資本の運動によって規制されるようになった。…

※「土屋喬雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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