雑賀庄(読み)さいかのしよう

日本歴史地名大系 「雑賀庄」の解説

雑賀庄
さいかのしよう

南は和歌浦わかのうら辺り、東は和歌川辺りを限る現和歌山市街地と、紀ノ川北岸の一部が荘域であったと考えられる。荘名は建久七年(一一九六)三月日付の高野山住僧等言上書(宝簡集)にみえ、当時、公家平親宗領であった。同言上書によれば、当庄は雑賀御庄とよばれ、荘内に紀伊湊きのみなとがあって交通の拠点で殷賑な地であったこと、紀ノ川の上流にある高野山は遠隔地荘園の年貢紀伊湊で積卸していたことなどが知られる。その後当庄の名が史料にみえるのは「吾妻鏡」建長三年(一二五一)八月六日条で、鎌倉勝長寿院小御堂の修理料所にあてられている。

嘉元四年(一三〇六)三月日付の粟村無量寿院光明真言知識文(束草集)には「紀州雑賀庄粟村郷」とある。また明徳三年(一三九二)八月五日付の廊ノ三郎近秀旦那売券(潮崎稜威主文書)には「紀伊国天郡(海部郡)サイカノ庄之内ナカシマヨリマイリ候タンナ、又ウチ(宇治)ヨリマイリ候旦那、又ヲカ(岡)ヨリマイリ候タンナ、又サイカノサトヨリマイリ候旦那、(下略)」とあり、荘内にあわ村・中島なかのしま宇治・岡・雑賀があったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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