難波江城跡
なばえじようあと
難波江・小黒飯両集落の間にある山頂(約八〇メートル)に主郭がある。郭は海岸に突出した丘陵状の一山を巧みに利用して造成されており、東南の下辺は海に接続し、山城でありながら水城と同様の形態を示す。構えは連郭式である。当地からは海を隔てて高浜にある逸見氏の本城が一望できる。「若狭郡県志」に「大草兵庫城址」として「在
難波江山上
、伝言大草兵庫所
拠之城跡也」とある。
大草氏については「太平記」に「大草三郎左衛門」の名があり、「南山巡狩録」に「三郎左衛門公経」の名がみえる。三河国額田郡大草(現愛知県額田郡幸田町)より起こり、南北朝時代足利尊氏に仕え活躍した一族である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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