日本歴史地名大系 「雲雀城跡」の解説 雲雀城跡ひばりじようあと 広島県:御調郡御調町市村雲雀城跡[現在地名]御調町市御調川南岸、市(いち)の中心地の南西にそびえる雲雀山(三一四メートル)の山頂に築かれた山城。本照寺山(ほんしようじやま)城とも称する。北は御調川流域を俯瞰し、東側山麓の谷を石見路(赤名越、現国道一八四号)が南北に通じる。最高部に本丸、その南に深さ約二〇メートル・幅約三メートルの空堀があり、北側に二の丸、二の丸の東側に帯曲輪、その東に出丸、出丸の北端に井戸曲輪があり、部分的に土塀も残る。所伝によると、沼田(ぬた)庄地頭小早川春平の弟土倉対馬守夏平によって嘉吉三年(一四四三)に築城された。明応年間(一四九二―一五〇一)には三次(みよし)から三吉氏が南下、当城には明応二年に三吉氏の家臣池上丹波守が城主として入り、この地域を支配した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by