霊廟建築(読み)れいびょうけんちく

山川 日本史小辞典 改訂新版 「霊廟建築」の解説

霊廟建築
れいびょうけんちく

死者の霊を祭る建築。古くは寺院や神社におかれ,廟または霊屋(たまや)とよばれた。香椎宮(仲哀天皇),多武峰(とうのみね)(藤原鎌足),四天王寺聖霊院(聖徳太子),北野天満宮(菅原道真)(国宝)などが著名だが,建築の形式に共通の特徴はない。近世に増加する霊廟建築は,本殿拝殿を石の間でつなぐ北野天満宮の権現造を原則とする。1599年(慶長4)の豊臣秀吉豊国廟がその初めであり,徳川将軍は家康以下7代家継まで,日光東照宮(国宝)をはじめ各地に霊廟が設けられた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の霊廟建築の言及

【日本建築】より

…社寺の建設は引き続き盛んであったが,特筆すべきことは浄土宗,真宗,日蓮宗の発展で,室町時代まではまだそう大きな規模をもちえなかったのが,近世に入ってから真言,天台,禅3宗にまさるとも劣らない大建築を建てるようになった。また霊廟建築()は前代の豊国廟に始まるが,東照宮の建設以来,いっそう盛んで,これらは多く権現造で建てられたため,幕府関係の神社はこれによるものが多く,この社殿形式は全国的に広まった。江戸時代の後半は庶民勢力の台頭が著しく,このため寺院建築も庶民的な色彩を加え,外陣には下駄ばきのまま自由に参拝できるようになったことも,特筆すべき変化であろう。…

【廟】より

…代表的な祠廟として,関帝廟(関羽をまつる),城隍(じようこう)廟(都市の守護神をまつる),娘娘(ニヤンニヤン)廟(子授けの女神をまつる),媽祖(まそ)廟(航海安全の女神をまつる,元后宮ともいう)などがあり,これらは今なお台湾省や華僑の多い国々で善男善女の願掛けの対象になっている。【三浦 国雄】
[日本の霊廟建築]
 日本では近世になって,豊臣秀吉や徳川家康など権力者の霊を廟としてまつり,その建築は霊廟建築として著しく発達した。京都阿弥陀ヶ峰の豊国廟(豊国(とよくに)神社)は秀吉の霊をまつり,1599年(慶長4)に営まれた古い例であり,その建築に際しては,北野神社に用いられていた石の間造,すなわち本殿とその前にたつ拝殿とを,石の間(相の間)で連結した形式を採用した。…

※「霊廟建築」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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