露月町(読み)ろうげつちよう

日本歴史地名大系 「露月町」の解説

露月町
ろうげつちよう

[現在地名]港区東新橋ひがししんばし二丁目・新橋しんばし四―五丁目

源助げんすけ町の南、東海道沿いに位置する両側町の町屋。「ろげつ」ともよぶ。東は陸奥会津藩松平家中屋敷、南は柴井しばい町、西は日蔭町ひかげちよう通を境に御目付遠山家屋敷・旗本植村家屋敷。古町であるが町起立・町名由来・草創人などは不明。かつては「ろ月町」と記していたが、宝永(一七〇四―一一)頃から露月町と改めたという(文政町方書上)。またかつては日比谷ひびや御門内にあり老月村と称していたが、徳川家康の関東入部後江戸城修築に際して当所に移し、後に露月町と改めたともいう(新撰東京名所図会)。なお寛永江戸図には「ろう月丁」と記される。町内間数は京間で南北は西側・東側とも表六三間余、東西裏行三八間余、二千四〇七坪余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報