青地忠三(読み)アオチ チュウゾウ

20世紀日本人名事典 「青地忠三」の解説

青地 忠三
アオチ チュウゾウ

大正・昭和期の映画監督,記録映画作家



生年
明治18(1885)年6月2日

没年
昭和45(1970)年10月25日

出生地
滋賀県高島郡朽木村字市場

学歴〔年〕
東京高師英語科〔明治43年〕卒

経歴
教師生活を経て、大正8〜10年東京教育博物館主事をつとめ、映画とスライド着目。10年岡本洋行活動写真部長に招かれ、米国のデブライ映写機の輸入普及につとめた。その後、12年〜昭和10年にかけて、教育短編映画「アテナ・ライブラリー」シリーズを製作戦前の教育映画の草分けとして活躍した。著書に「映画技術の理論実際」(共著)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青地忠三」の解説

青地忠三 あおち-ちゅうぞう

1885-1970 大正-昭和時代の記録映画作家。
明治18年6月2日生まれ。大正10年岡本洋行活動写真部長となり,教育短編映画シリーズ「アテナ・ライブラリー」を製作した。代表作に「海の生命線」など。昭和45年10月25日死去。85歳。滋賀県出身。東京高師卒。著作に「映画技術の理論と実際」(共著)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例