青巌寺跡(読み)せいがんじあと

日本歴史地名大系 「青巌寺跡」の解説

青巌寺跡
せいがんじあと

[現在地名]高野町高野山

金剛峯こんごうぶ寺境内の東部にあった寺で、かつて学侶方の寺務をつとめた中心寺院であったが、明治二年(一八六九)西隣にあって行人方の役寺であった興山こうざん寺と合体して金剛峯寺となる。以後高野山真言宗の管長・座主の住坊となり現在に至る。当寺地は高野山第二世座主真然の廟所で、長承元年(一一三二)覚鑁によって建立された大伝法だいでんぼう院の跡地であった。豊臣秀吉が大願主となって、天正二〇年(一五九二)に没した秀吉の母大政所の追善のため木食応其に命じて造営。初め剃髪ていはつ寺と号した。同年八月四日の豊臣秀吉朱印状(続宝簡集)によれば、造営料として一万石、ほかに高野山に一万石、うち三千石を剃髪寺仏供灯明ならびに寺僧請賄料として寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

戒厳令

一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本...

戒厳令の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android