青森御仮屋跡(読み)あおもりおかりやあと

日本歴史地名大系 「青森御仮屋跡」の解説

青森御仮屋跡
あおもりおかりやあと

[現在地名]青森市長島一丁目

現在の青森県庁の地にあり、明治初年の「新撰陸奥国誌」のしん町の項に「此町の中程大手通の南の方一丁十五間、水田の間にあり」と記される。

寛永元年(一六二四)二代藩主津軽信枚は、森山弥七郎を開港奉行として青森の港づくり町づくりを始め、翌年には青森から東廻航路で初めて江戸廻米を行った。同年青森に陣屋を造ったが、寛文一一年(一六七一)家老大道寺宇左衛門が指揮し、八木橋長十郎・鹿内藤兵衛が普請奉行となって御仮屋を建設した。七月一九日に釿立て、八月二九日に柱立てを行い、弘前棟梁や青森の大工を集めて一一月一三日いちおう完成した(青森市沿革史)。四周に堀・土塁をめぐらし木柵を立て、東西七一間半・南北六八間の規模で、武器倉・望楼を備えていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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