津軽地域のうち、現在の東津軽郡と青森市を含む地域を外ヶ浜とよぶ。古代から使用されており、このほか現在も使用されている呼称に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
青森県北西部,東津軽郡の町。2005年3月蟹田(かにた)町,平舘(たいらだて)村,三厩(みんまや)村が合体して成立した。旧三厩村は今別町を挟んで飛び地となった。人口7089(2010)。
外ヶ浜町東部の中南部に位置する旧町。東津軽郡所属。人口4010(2000)。津軽半島東岸,蟹田川流域を占め,陸奥湾に臨む。町域の90%は山林で,古くからヒバの美林で知られる。蟹田川河口に開けた中心集落の蟹田は,近世には津軽藩のヒバ材の積出港として発達し,日本海沿岸各地との交易が盛んであった。また三厩から海路を経て蝦夷地に至る松前街道の宿場でもあり,津軽半島北東岸一帯の上磯(外ヶ浜)地方の経済・文化の中心として栄えた。1951年にJR津軽線が通じた。蟹田川中・下流の沖積地には水田が開けるが,偏東風(やませ)の影響を受けてしばしば冷害に襲われるため畜産などに力を入れている。かつては陸奥湾内で沿岸漁業が盛んであったが,近年は振るわず,代わってホタテガイの養殖が盛んとなり,サケ,マスの人工孵化も行われている。80年下北半島の脇野沢との間にフェリーが就航し観光拠点となった。蟹田の北にある観瀾山は眺望にすぐれ,太宰治の《津軽》でも知られ,文学碑がある。
外ヶ浜町北東部の旧村。東津軽郡所属。人口2451(2000)。津軽半島北東端に位置し,平舘海峡を隔てて下北半島に対する。津軽山地の支脈をなす津軽半島最高峰の丸屋形岳(718m),袴腰岳などの山地が海岸に迫り,村域の95%を山林が占める。集落は海岸を通る旧松前街道(現,国道280号線)に沿って分布し,中心の平舘をはじめ街村をなす。陸奥湾の出入口を扼する平舘には,近世末に異国船警備のため弘前藩の台場が置かれた。基幹産業は農林漁業で,ホタテガイの養殖が行われるが,沿岸漁業は近年不振である。出稼ぎも多く,人口減少が進んでいる。明神崎には1899年に建てられた平舘灯台がある。
外ヶ浜町北西部の飛び地の旧村。東津軽郡所属。人口2709(2000)。津軽半島北岸にあり,村名は,源義経の厩(うまや)と伝えられる三つの岩洞にちなむという。津軽山地が海岸に迫り,村域の90%が山林で良質のヒバ材を産する。かつてはアワビ,コンブ漁で知られたが,第2次大戦後はイカ漁を中心とした沿岸漁業が盛んになった。中心の三厩は江戸時代には蝦夷地への出航地にあたり,松前藩の本陣が置かれた。明治以降,青森~函館間の航路が開かれたためさびれ,1958年に国鉄(現JR)津軽線が通じるまでは〈陸の孤島〉であった。71年には青函トンネルの工事基地が置かれ,88年3月に工事が完成して津軽海峡線が開業し,北海道への玄関口となった。津軽半島最北端竜飛(たつぴ)崎は津軽国定公園に含まれる。
執筆者:佐藤 裕治
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青森県北西部、東津軽郡(ひがしつがるぐん)にある町。2005年(平成17)、東津軽郡蟹田町(かにたまち)、平舘村(たいらだてむら)、三厩村(みんまやむら)が合併して成立。町域は今別(いまべつ)町をはさんで西部(旧、三厩村地区)と東部(旧、蟹田町・平舘村地区)に分かれている。津軽半島の北東部にあたり、東西両地区ともに、半島の脊梁山脈である津軽山地の山々が海岸部近くまで迫る。集落は南部を流れる蟹田川流域と海岸部に発達。耕地は蟹田川をはじめ、津軽山地を水源とする小河川の流域と海岸部にわずかに開ける。東地区の東は陸奥(むつ)湾に面し、海岸沿いを国道280号が走る。西地区は北に津軽海峡を挟んで北海道を望み、海岸沿いを国道339号が通る。西地区の津軽海峡に突き出た龍飛崎(たっぴざき)、および東地区北部の海岸一帯は津軽国定公園の指定域。JR津軽線は蟹田川沿いを走り、今別町地区を抜けて、西地区の三厩駅が終点。JR海峡線(津軽海峡線)の竜飛海底駅(たっぴかいていえき)が設けられていたが、北海道新幹線の開通により、廃止となった。春から夏にかけてはオホーツク海からの冷たい偏東風が吹き、冬は偏西風が強く、降雪も多い。町域の約9割が山林で、大部分が国有林。耕地は少なく、陸奥湾内でホタテ、シラウオなどの漁獲がある。龍飛崎を通る国道339号は、岬から龍飛埼(たっぴざき)灯台までが、362段の階段になっている日本で唯一の階段国道である。龍飛崎近くには青函トンネル記念館があり、世界最長の海底トンネルである青函トンネル(1988年開業)の完成までを「体験坑道」などを通じて詳しく知ることができる。面積230.30平方キロメートル、人口5401(2020)。
[編集部]
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…これはもちろん観念上のことであり,鎌倉幕府の軍事・警察権が高麗(朝鮮)にまで及んでいたわけではけっしてない。実際の日本中世国家の東の境界は陸奥国の外ヶ浜であり,西の境界は鬼界ヶ島であった。境界の地である外ヶ浜とその先にある夷島は,国家的犯罪人の流刑地とされ,他方,かつては鬼のすみかとみられていた鬼界ヶ島は,王化(日本化)が進んで人のすみかとなった後も,なかば日本国に属し,なかば異域に属する両属的な境界の地であると観念され続けるのである。…
※「外ヶ浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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