日本歴史地名大系 「面縄村」の解説
面縄村
うんのーむら
現伊仙町の南部に位置し、西方はのうちで、面南和などとも記される。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、「面縄間切」とあり、オモナワの訓が付される。「三州御治世要覧」では同間切一六ヵ村のうちとして「西縄村」とある。面縄の誤記であろう。面縄間切の主邑として間切役所が置かれた。また面縄湊があって倉が設けられ、砂糖や鹿児島藩からの米を保管していた。享保一六年(一七三一)面南和村下に唐船が一艘漂着している。嘉永二年(一八四九)にはアメリカと「インケリス」そのほか諸国の乗合異国船二艘(すべて一三人)の乗組人が面南和浜に上陸してきたので、唐芋などを与えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報