朝日日本歴史人物事典 「須田盛貞」の解説
須田盛貞
生年:弘化2.1.25(1845.3.3)
幕末維新期の秋田藩士。代々2700石余を禄する重臣の家に生まれる。慶応2(1866)年,大番頭より進んで小銃隊支配を兼ね,同4年,砲術所総裁,家老となる。秋田藩の尊王思想の拠点であった惟神館に学んで,その信奉者となり,平田国学の私塾雷風義塾と砲術所の連携をはかって藩論を勤王方に導いた。戊辰戦争では,鹿角郡花輪方面で軍事総括を命じられる。明治2(1869)年学館総裁となり,世子佐竹義脩の養育係を兼任。維新政権のもとで,藩大参事,秋田県典事などの要職を歴任。同5年,病気のため職を退いた。
(金森正也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報