日本歴史地名大系 「須賀川村」の解説 須賀川村すかがわむら 栃木県:那須郡黒羽町須賀川村[現在地名]黒羽町須賀川南流する久慈(くじ)川支流押(おし)川流域にある山間の村。北は雲巌寺(うんがんじ)村、南・南西は大山田上郷(おおやまだかみごう)・大山田下郷(現馬頭町)、南東は水戸藩領金沢(かねざわ)村(現茨城県久慈郡大子町)。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「須賀川」がみえ、一千二一九石(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。以後黒羽藩領。慶安郷帳では田八一三石・畑四〇六石。 須賀川村すかがわむら 群馬県:利根郡片品村須賀川村[現在地名]片品村須賀川御座入(みざのり)村の片品川対岸に位置し、北東は菅沼(すがぬま)村、南東は筑地(ついじ)村、南は下平(しもだいら)村。正徳三年(一七一三)に書かれたと思われる覚(「片品村史」所収)によると、承応二年(一六五三)頃菅沼村の五兵衛が沼田藩真田氏の許しを得て、おもに菅沼村・御座入村・下平村から田畑を割出し、一二軒で村を開いたという。寛文郷帳によると田方四石余・畑方五〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報