領家開発村
りようけかいほつむら
[現在地名]高岡市開発本町・
本丸町・
丸の内・
熊野町・
大坪町三丁目・
明野町など
小矢部川右岸、高岡木町の東方に位置。川筋の変遷によってできた河原を開発して近世初期に村立てした。単に開発村とも称される。元和二年(一六一六)領家村と記され、肝煎九右衛門・宗兵衛に隠田二七石五斗の裁許が命じられた(「裁許申付状」岡本家文書)。正保郷帳では本開発村として高五六七石余、田方三一町・畑方六町八反余。明暦二年(一六五六)の村御印留には領家開発村とみえ草高六三五石・免四ツ五歩。寛文三年(一六六三)には川崩れにより五三石が検地引高となり、同一〇年の村御印の草高五八二石・免四ツ三歩、新開高(寛文二年)二九石(三箇国高物成帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 