領家開発村(読み)りようけかいほつむら

日本歴史地名大系 「領家開発村」の解説

領家開発村
りようけかいほつむら

[現在地名]高岡市開発本町かいほつほんまち本丸町ほんまるまち丸の内まるのうち熊野町くまのまち大坪町おおつぼまち三丁目・明野町あけのまちなど

小矢部川右岸、高岡町の東方に位置。川筋変遷によってできた河原を開発して近世初期に村立てした。単に開発村とも称される。元和二年(一六一六)領家村と記され、肝煎九右衛門・宗兵衛に隠田二七石五斗の裁許が命じられた(「裁許申付状」岡本家文書)正保郷帳では本開発もとかいほつ村として高五六七石余、田方三一町・畑方六町八反余。明暦二年(一六五六)の村御印留には領家開発村とみえ草高六三五石・免四ツ五歩。寛文三年(一六六三)には川崩れにより五三石が検地引高となり、同一〇年の村御印の草高五八二石・免四ツ三歩、新開高(寛文二年)二九石(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む