顕本寺跡(読み)けんぽんじあと

日本歴史地名大系 「顕本寺跡」の解説

顕本寺跡
けんぽんじあと

[現在地名]高岡町内山

あまじよう山南麓、寺田てらだにあった。同地辺りは顕本瀬けんぽぜとよばれる。平賀山と号し、浦之名うらのみよう本永ほんえい寺末で法華宗富士門派。創建の時期、開山などは不明(高岡名勝志)。久妙両山並定善寺由来書(定善寺文書)には「嶋津ノ内高岡ノ顕本寺」とあり、日向国内では定善じようぜん(現日向市)のもと、本永寺と並ぶ有力寺院であった。天正六年(一五七八)四月二二日の当門徒前後案内置文(同文書)では当寺を定善寺直末としている。本永寺は天文二年(一五三三)都於郡とのこおり(現西都市)から顕本寺の地へ移され、永禄(一五五八―七〇)頃までこの地にあったという(高岡名勝志)

文亀二年(一五〇二)、日向にいた日要は上洛に先立って日向学頭職を顕本寺日杲に継承させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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