デジタル大辞泉
「大中寺」の意味・読み・例文・類語
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だいちゅう‐じ【大中寺】
- 栃木県下都賀郡大平町西山田にある曹洞宗の寺。山号は大平山。延徳元年(一四八九)小山成長が創建。開山は快庵妙慶。江戸時代、関東僧録司(関三刹)の一つ。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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大中寺
だいちゆうじ
[現在地名]大平町西山田
太平山の南斜面の中腹にある曹洞宗寺院。太平山天暁院大中禅寺と号し、釈迦如来を本尊とする。もと美濃竜泰寺(現岐阜県関市)末で、近世初頭、禅宗の関東僧録職、のち天下大僧録職に任じられ、下総総寧寺(現千葉県市川市)・武蔵竜穏寺(現埼玉県入間郡越生町)などとともに近世を通じて宗内行政を執った有力寺院。「下野国誌」などによれば、延徳元年(一四八九)小山成長が快庵妙慶を招いて開山とし、成長の法名をとって寺号とした。快庵は当寺にあること五年にして死去、その後を培芝正税が継ぎ、三世圭庵伊白、四世竜州文海、五世海庵尖智(泉智)と続く。
正税の時の文亀二年(一五〇二)一〇月二一日、古河公方足利政氏から中泉庄内の西水代郷を寺領として安堵され(同日「古河公方足利政氏安堵状」大中寺文書、ただし榎本大中寺の文書、以下同)、海庵のとき天文二二年(一五五三)三月二二日にも同郷が足利義氏により安堵されている(同日「梅千代王丸足利義氏安堵状写」同文書)。
大中寺
だいちゆうじ
[現在地名]沼津市中沢田
中沢田集落の中央部付近、同所を横断する主要地方道三島―富士線(根方街道)の北側に位置する。沢田山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は不動明王。「駿河志料」などによれば開山夢窓疎石が結んだ庵室に始まり、古くは現在地より「一里余深山」にあったという。応仁年間(一四六七―六九)に焼亡したが、天文年間(一五三二―五五)に雪斎(太原崇孚)が中興したとされる。応永三二年(一四二五)九月二四日に鋳造された当寺の梵鐘には「駿州金持庄沢田山大中禅寺」と刻まれていた(「鐘銘写」駿河志料)。永禄元年(一五五八)一二月一七日、今川氏真は当寺の諸役を免除し、竹木伐採禁止などを認め(「今川氏真印判状」寺蔵)、同九年一一月一七日には六貫文分の寺領を安堵している(「今川氏真判物」寺蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大中寺 (だいちゅうじ)
栃木県栃木市の旧大平町西山田にある曹洞宗の寺。山号は太平山。小山重長(成長)が,快庵妙慶を開山に1489年(延徳1)に創建した。のち無学宗棼(そうふん)と快叟(かいそう)良慶が第6世の住持職を争い無学が住持となったが,寺は同町榎本に移った(現存)。この結果西山田の大中寺は住持を欠き,寺は衰退したが,のちに復興し,1612年(慶長17)には幕府から曹洞宗法度が下されて大僧録寺院(関三刹(かんさんさつ))の一つとなり,全国の同宗寺院を支配する有力寺院となった。
執筆者:山本 世紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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