願海寺城跡(読み)がんかいじじようあと

日本歴史地名大系 「願海寺城跡」の解説

願海寺城跡
がんかいじじようあと

[現在地名]富山市願海寺

鍛治かじ川右岸に築かれた城で、現在遺構は何も残らないが、願海寺集落の西、小字館本たちもとが城跡の位置を示す。付近にはホリノウチ(堀の内)という呼称も残る。城主は戦国期の国人寺崎氏で、天正(一五七三―九二)初めには上杉謙信に属していたが、同六年謙信が急死すると、織田方についた。しかし、同九年には再び上杉方に属したらしく、織田方に攻められ落城した。天正九年と推定される五月六日の田中尚賢等連署書状(上杉家文書)に「願皆寺表」とみえ、同月四日上杉方の安部政吉らが守る魚津城から火の手が見えたため偵察させたところ、当城守将寺崎民部左衛門尉が能登切腹、寺崎家中の小野大学助と大貝采女が談合して織田氏に内応し、織田氏の部将菅屋長頼の軍勢を二の郭まで引入れ、実城(本丸)を取詰めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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