日本歴史地名大系 「願興寺跡」の解説 願興寺跡がんごうじあと 奈良県:天理市櫟本地区和爾村願興寺跡[現在地名]天理市和爾町古代寺院でいまはない。和爾(わに)集落から東方へ五〇〇メートルほど上った所に小字塔(とう)の丸(まる)があり、文献および遺物から跡地と推定される。「東大寺要録」末寺章に「願興寺 右和銅元年歳次戊申、奉為天武(文武)天皇悩除愈、小野中納言為忠建、願興寺字山口寺、在大和国添上郡上津和邇」とある。また延喜一九年(九一九)の虚空蔵(こくうぞう)寺(弘仁寺、現奈良市)の四至に「限東四条九里十四坪東子午畔、限南少倉山、限西願興寺東横道、限北和爾川(菩提仙川)」とある(「東大寺虚空蔵絵図」東大寺蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by