願興寺(読み)がんこうじ

精選版 日本国語大辞典 「願興寺」の意味・読み・例文・類語

がんこう‐じグヮンコウ‥【願興寺】

  1. 岐阜県可児郡御嵩(みたけ)町にある天台宗の寺。山号大寺山。弘仁年間(八一〇‐八二四)最澄の創建で、最澄自刻と伝える薬師如来が本尊。本堂は七間四面の安土桃山時代の建築。可児薬師。蟹薬師可児大寺(かにおおでら)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「願興寺」の解説

願興寺
がんこうじ

[現在地名]御嵩町御嵩

御嵩町の中央部、可児川北岸にある。大寺山と号し、天台宗。本尊は薬師如来。近世までは可児大寺かにのおおてらともよばれ、可児(蟹)薬師と通称される。寺伝によると弘仁六年(八一五)最澄が布教のため東国へ下向の際、当地で疫病に悩む者が多いのを哀れんで、薬師如来を念じ桜の大枯木を切って薬師如来像を彫刻させ、施薬院として布施屋を建てて安置したという。正暦四年(九九三)には一条天皇皇女が京都から最澄建立正宝しようぼう庵に来住、薙髪して行智尼と称し、朝夕薬師如来を礼拝していた。長徳二年(九九六)二月七日庵の南西にあるあまヶ池から金色の光が輝き出て風雨が激しくなると、池の面に一寸八分の薬師如来像が数千の蟹に囲繞されて湧出した。行智尼はこの像を本尊薬師如来像の胎内に納めたのち国司へ報告したので、同四年勅命により新たに仏閣が造営され、大寺山願興寺と名付けられたと伝える。天仁元年(一一〇八)兵火にかかり伽藍その他を焼失、その後西隣中村なかむら郷地頭纐纈(源)氏の帰依により、堂宇が再建されたという。天福元年(一二三三)四月一七日から嘉禎三年(一二三七)六月二二日までに書写された大般若波羅蜜多経奥書(当寺蔵)には願主として「願興寺」四方別当良心、一筆僧良全、供養檀那として源(纐纈)康能の名がみえ、また当寺蔵釈迦如来像は、胎内墨書銘によれば寛元二年(一二四四)五月二三日に源康能を大檀那として造立されている。


願興寺
がんこうじ

[現在地名]瀬戸町肩背

高尾たかお城跡と物理もどろい城跡の谷間にある。天台宗、中津山と号し本尊は千手観音。「吉備温故秘録」によれば天平勝宝年中(七四九―七五七)報恩大師が創建した備前四八ヵ寺の一つで、寺中に光明院肩背かたせ村薬師堂・江尻えじり村薬師堂があり、本寺は金山かなやま(現岡山市)。往古は坊舎一五坊、三重塔・毘沙門堂があったという(宝暦五年「願興寺記」寺蔵)

寺蔵の元禄四年(一六九一)「願興寺記」によると、建長年間(一二四九―五六)本尊千手観音が盗まれたので、快慶作の千手観音を入手して本尊とした。明応元年(一四九二)兵火によって一山ことごとく焦土と化し、文禄―慶長(一五九二―一六一五)頃に本山金山寺の豪円によって堂宇が修復されたが、明暦元年(一六五五)火災で炎上した。


願興寺
がんこうじ

[現在地名]長尾町造田是弘

石鎚いしづち(一九八・三メートル)の南麓にあり、施薬山悲田院と号する。真言宗善通寺派、本尊薬師如来。宝蔵院古暦記(松浦文書)によると天長七年(八三〇)徹円が建立、薬師如来を安置し衆病を救ったという。「讃岐国名勝図会」も同様に記し、真言宗宝蔵ほうぞう(現極楽寺)末寺とある。現寺地の南約一〇〇メートルの小祠付近から白鳳期の重弧文軒平瓦や、奈良期の唐草文軒平瓦などが出土する。この一帯が旧寺域で、奈良時代にはすでに建立されており、かなりの大寺であったと思われる。


願興寺
がんこうじ

[現在地名]中川区牛立町二丁目

尾頭山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、もと古渡ふるわたり(現中区)にあった天台宗の寺院元興がんごう寺が延徳年間(一四八九―九二)浄土真宗に改宗、のち織田信秀が古渡城を築城した際、牛立うしたて村に移ったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「願興寺」の意味・わかりやすい解説

願興寺
がんこうじ

岐阜県可児(かに)郡御嵩(みたけ)町にある天台宗の寺。大寺山(おおてらさん)願興寺と号する。通称を可児大寺、可児薬師(やくし)、蟹(かに)薬師ともいう。本尊は薬師如来(にょらい)。815年(弘仁6)伝教(でんぎょう)大師(最澄(さいちょう))の開山。縁起によると、996年(長徳2)一条(いちじょう)天皇の皇女(行智尼)がこの地に庵(いおり)を結び薬師如来を礼拝していると、寺の南西にある尼ヶ池から蟹の背に乗った薬師如来像が池の面に浮かんだので、その像を本尊の胎内仏として祀(まつ)り、一条天皇の勅命により七堂伽藍(がらん)が建立されたと伝える。1108年(天仁1)と1572年(元亀3)に兵火にかかり堂宇と寺宝の多くを焼失したが、1581年(天正9)再興された。また1625年(寛永2)に尾州藩主源敬公より薬師領として黒印100石を付せられ明治維新まで継続した。薬師如来坐像(ざぞう)、日光月光菩薩立像、十二神将立像、四天王立像など国重要文化財の仏像24体がある。

[中山清田]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「願興寺」の解説

願興寺

岐阜県可児郡御嵩町にある天台宗の寺院。山号は大寺山。815年、最澄による開山と伝わる。本尊の釈迦如来像など多くの仏像、本堂が国の重要文化財に指定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android