デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「風外慧薫」の解説 風外慧薫 ふうがい-えくん 1568-1654? 江戸時代前期の画僧。永禄(えいろく)11年生まれ。曹洞(そうとう)宗。相模(さがみ)成願寺住職。のち曾我山中の巌窟(がんくつ)にすみ,遠江(とおとうみ)石岡にうつる。承応(じょうおう)3年ごろ墓穴をほらせ,その中で入寂(にゅうじゃく)したという。87歳? 達磨(だるま),布袋(ほてい)の絵を得意とし,穴風外などとよばれた。上野(こうずけ)(群馬県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「風外慧薫」の解説 風外慧薫 没年:慶安3(1650) 生年:永禄11(1568) 江戸初期の禅僧画家。名は慧薫。上野国(群馬県)碓氷郡土塩村の人。修業ののち,相模国小田原(神奈川県)の成願寺に住した。数年ののち上曾我の洞窟に移り住み,托鉢のかたわら,達磨,布袋などの禅画を数多く描いた。のちに真鶴の竹渓院,遠江国(静岡県)石岡と移った。今もそれらの地に風外窟などといわれるものが残っている。<参考文献>平塚市美術館『相模の禅僧 風外慧薫作品集』 (河野元昭) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by