日本歴史地名大系 「飯の山城跡」の解説 飯の山城跡いいのやまじようあと 島根県:邑智郡川本町川下村飯の山城跡[現在地名]川本町谷戸仙岩(せんがん)寺の後背山頂にあった山城。仙岩寺(せんがんじ)城・青岩(せいがん)城ともいう。鎌倉時代、益田兼広が分家して河本(かわもと)周辺を領有し福屋氏を称し、拠点として構築、小笠原氏が城塁を整備拡大使用したと思われる。南北朝期河本郷一方地頭となった小笠原長氏が江川左岸に温湯(ぬくゆ)城を築きここを拠点とすると、当城は川本の赤(せき)城とともにその支城となった。しかし当城は西は大江高(おおえたか)山などの高峰を一望し、菰口(こもぐち)(現温泉津町)の三ッ子(みつご)山城をはじめとした多くの城塁を見通すことができ、小笠原氏にとって戦略的に重要な城であった。天文―弘治(一五三二―五八)頃毛利元就が本格的に石見に進出し、小笠原氏が出雲の尼子氏と結んで敵対するようになると、当城は重要な攻防拠点となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by