飯井村
いいむら
[現在地名]上越市飯・昭和町一―二丁目・御殿山町・上昭和町
飯とも書き近代の行政村名は飯村。滝寺村の東に位置し東は高田城下。明徳二年(一三九一)八月九日の上杉朝房宛の室町将軍家御教書(京都大学所蔵文書)には「越後国伊井保四宮八郎跡地頭職」に対する被官人らの押領を停止し、田村教政代に沙汰せしめるようにとある。同保については他に徴証なく所在も定かでないが、あるいは当地かもしれない。
飯井村
いいむら
[現在地名]長船町飯井
現長船町の東端にあり、東は佐山村(現備前市)。荒池から流れ出た干田川は、町中央部を西流し、土師村で南へと方向を変え、現邑久町域を南流したのち新村(現岡山市)で吉井川に合流する。「吉備温故秘録」には干田渠とみえ、「古へ小流集りて沼となりしを、此渠をつけて水を流し、跡を田地とす」とある。寛永備前国絵図に村名がみえ、高一千一二六石余。正保郷帳には「伊井村」とみえ同高、枝村に和田村がみえる。「備陽記」によると、田畑九一町三反余、家数一七四・人数八五一、池一六、枝村に栢山・和田・出屋敷が載る。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば、直高二千一一〇石余で、家老伊木氏の給地。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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