飯倉御厨・飯倉郷(読み)いいくらのみくりや・いいくらごう

日本歴史地名大系 「飯倉御厨・飯倉郷」の解説

飯倉御厨・飯倉郷
いいくらのみくりや・いいくらごう

現港区を中心に所在したと考えられる中世の所領。中世における飯倉の地名は、寿永三年(一一八四)に武蔵国の飯倉を伊勢神宮に寄進したという源頼朝の寄進状(同年五月三日源頼朝寄進状写「吾妻鏡」元暦元年五月三日条)に登場する。このとき飯倉御厨が内宮分として荒木田成長に寄進された。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神領注文写(神宮雑書)には全国の伊勢神宮の御厨が総覧されており、武蔵国の御厨として飯倉御厨が鎌倉家の祈祷所とされ、榛谷はんがや御厨(現神奈川県横浜市)大河土おおかわど御厨(現埼玉県松伏町)と並んで記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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