飯川村(読み)いがわむら

日本歴史地名大系 「飯川村」の解説

飯川村
いがわむら

[現在地名]七尾市飯川町

石動せきどう山系の麓を走る内浦街道に沿う街村で、北東しも村。垣内能登坂のとざか沢出さわで上出かみで中町なかまち橋浦はしうら背戸町せどまちがある。中世飯川保の遺称地で、オタチの遺称は同保を本貫地とした飯川氏の館跡とも考えられる。

天正一六年(一五八八)検地帳によると高一八町一反余(鹿島郡誌)正保郷帳では高五五八石余、田方二二町一反余・畑方一五町余。承応二年(一六五三)の役棟五二(「棟役調」鹿島郡誌)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高五七一石、免五ツ一歩、小物成は山役三六七匁・苦竹役三匁、鳥役六匁(出来)であった(三箇国高物成帳)


飯川村
いいがわむら

[現在地名]古川市飯川

多田ただ川と渋井しぶい川の間を東南に流れる多田川支流の飯川に沿う細長い水田地帯にあり、北は塚目つかのめ村、南は矢目やのめ村、東は西荒井にしあらい村、西は上中目かみなかのめ村と接する。飯川は米所である大崎おおさき平野を貫流し、かつては家々の米とぎ場であり洗濯場でもあった。天文五年(一五三六)大崎領内の大乱に際し、大崎家臣の飯川二郎四郎の名があり(伊達正統世次考)、この地方を領した土豪と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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