飯里村
いいざとむら
[現在地名]気高町飯里
上原村の南、逢坂谷奥部西方の山麓に位置する。南は殿村。正保国絵図では「飯野里村」と記され、元禄郷帳・元禄国絵図作成の際飯里村に改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は一六〇石余、本免は五ツ六分。藪役銀二匁二分五厘が課せられ(藩史)、柄本氏・村上氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によると家数二八。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高一八五石余、竈数三〇。享保一八年(一七三三)当村を含む逢坂谷の小別所村(現鹿野町)・殿村など五ヵ村と日置谷の小畑村(現青谷町)との間で草山入会をめぐって争いとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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