日本歴史地名大系 「伊南房州通往還」の解説 伊南房州通往還いなんぼうしゆうどおりおうかん 千葉県:総論伊南房州通往還内房から茂原(もばら)町などを経て大原(おおはら)(現大原町)・勝浦などの外房の海岸部をめぐる道で、便宜上館山方面に至る道筋を含む。伊南通往還(茂原市史料)ともみえるが、この伊南は中世夷隅(いすみ)郡に形成された庄園名が江戸時代にわたるまで広域通称名として用いられたことによるもの。また往還筋の中継場であった長柄(ながら)郡六地蔵(ろくじぞう)村(現長柄町)辺りでは東浜(ひがしはま)往還としている(酒巻家文書)。口承では江戸街道のほか茂原道とも称していたという。房総往還からは千葉町寄りの浜野(はまの)村(現千葉市中央区)から市原郡八幡(やわた)宿(現市原市)で分岐し、潤井戸(うるいど)村(現同上)で合流する。ここには享和三年(一八〇三)造立の道標があり、「江戸うる井戸村はまのむらみち」「五井やわたみち」「かさもり犬成村てうなんもばら道」とみえる。かさもりは観音霊場の笠森(かさもり)寺(現長南町)。潤井戸村を南下して六地蔵村に至り、これより東に向かい高師(たかし)村・茂原町(現茂原市)に至り、以下海岸に近く一宮本郷(いちのみやほんごう)村(現一宮町)―長者(ちようじや)町(現岬町)―大原町―御宿(おんじゆく)村(現御宿町)―勝浦村―天津(あまつ)村(現天津小湊町)―前原(まえばら)町(現鴨川市)―和田(わだ)村(現和田町)と進み、これより西へ内陸部に入り、加茂(かも)村(現丸山町)―国分(こくぶ)村(現館山市)―北条(ほうじよう)村(現同上)と続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by