館野村(読み)たてのむら

日本歴史地名大系 「館野村」の解説

館野村
たてのむら

[現在地名]二本松市館野・館野原たてのはら

箕輪みのわ村の東に位置し、東は北杉田きたすぎた村、南は杉田川を挟み南杉田村および椚山くぬぎやま(現大玉村)、北は原瀬はらせ村・高越たかこし村。天正一四年(一五八六)九月七日の二本松配分日記(伊達家文書)に「玉井たての村」とみえ、「こいたハ」が「さ川弥内」に宛行われている。「こいたハ」は当地の小字越田こしたに比定される。同じく「みのハないき」に「との内」「くほ」「なかほ在家」が宛行われているが、村名の記載がない。

館野村
たてのむら

[現在地名]東由利町館合

玉米とうまい村の西の新田村。承応元年(一六五二)小松弥右衛門は矢島藩の許可を得、高瀬川上流の田代たしろ村から水を引き、玉米村のうち須郷田すごうだから台山だいやまの間の開墾に着手した(「玉米館野村開発覚書」東由利町古文書解読集)

その後、次々に開発が進み、元禄八年(一六九五)に館野村として独立した。元禄一〇年の羽州由理郡矢島到米下村之図(県立秋田図書館蔵)には村高一九六石とある。

享保年間(一七一六―三六)堰水の利用に関し、紛争が起きた。享保九年「那しの木台用水堤・沢の堤」について老方おいかた谷地向やちむかい堰子(用水利用者)との間に争いが生じ、矢島藩庁の裁許状が下された。

館野村
たてのむら

[現在地名]燕市館野

長所ちようしよ村の南に連なり、西は大通おおどおり川が北流する。貞享元年(一六八四)の村上藩領分郷村高辻帳に高一六一石四斗余とある。元禄郷帳は長所村枝郷として同高

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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