新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「香川敬三」の解説 香川 敬三カガワ ケイゾウ 肩書枢密顧問官,皇后宮大夫 別名変名=鯉沼伊織 小林彦次郎 蓮見東太郎 字=心豊 号=東州 生年月日天保10年11月15日(1839年) 出生地常陸国茨城郡下伊勢畑村(茨城県御前山村) 経歴水戸藩士。尊王攘夷運動に参加し、文久3年藩主徳川慶篤に従って上京、天下の志士と交際し、国事に奔走する。後に岩倉具視に仕え、王政復古の計画に参画。明治元年戊辰戦争に際して軍監となり、流山で近藤勇捕縛に功をなす。3年欧米を視察し、帰国後、宮内大丞、宮内大書記官、皇后宮大夫、皇太后宮大夫等を歴任。42年枢密顧問官。20年子爵を授けられ、40年伯爵。 没年月日大正4年3月18日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「香川敬三」の解説 香川敬三 没年:大正4.3.18(1915) 生年:天保10.11.15(1839.12.20) 幕末の志士,明治の皇后宮大夫。常陸国茨城郡下伊勢畑村(茨城県御前山村)の庄屋蓮田孝定3男。祠官鯉沼家の養子となり伊織と称す。水戸藩士藤田東湖の門弟となり勤王を唱え,のち上京して香川敬三と称し,志士と交流,ことに岩倉具視の知遇を得た。慶応3(1867)年高野山の挙兵に参加,戊辰戦争では東山道総督に従い,近藤勇を捕らえるなどの功があり,賞典禄300石を給せられた。明治初期は軍務に従事,次いで宮内省に移り,明治14(1881)年以降皇后宮大夫として皇后を補佐,20年子爵,40年伯爵。<参考文献>皇学館大学史料編纂所編『香川敬三履歴史料』 (上野秀治) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香川敬三」の解説 香川敬三 かがわ-けいぞう 1839-1915 幕末-明治時代の武士,官僚。天保(てんぽう)10年11月15日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士の子。藤田東湖にまなぶ。岩倉具視(ともみ)につかえて王政復古の計画に参加。戊辰(ぼしん)戦争では大軍監をつとめ,下総(しもうさ)流山(千葉県)で近藤勇を捕らえた。維新後,宮内少輔,枢密顧問官。大正4年3月18日死去。77歳。本姓は蓮田。字(あざな)は心豊。号は東洲。変名は小林彦次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by