香春岳城跡(読み)かわらだけじようあと

日本歴史地名大系 「香春岳城跡」の解説

香春岳城跡
かわらだけじようあと

[現在地名]香春町香春

香春岳の山頂に築かれた山城。山頂のうちいちノ岳は石灰岩採掘のためほとんど削られて昔日の面影はないが、一ノ岳とノ岳の間の鞍部で土塁や竪堀、二ノ岳とさんノ岳の間の稜線で石塁などが確認されている。古代以来、香春岳は香春神(鹿春神)を祀る神体山として信仰の対象となっており、鎌倉時代まで城として用いられた所見はない。康安二年(一三六二)とされる八月一三日の大友氏時書状写(阿蘇文書/南北朝遺文(九州編)四)によると、前年に九州に下った斯波氏経が南朝方の守護菊池武光を破って豊前をほぼ北朝方の支配下に置いた際、筑前の国人山鹿氏・麻生氏らが「たかハのこほりかうろ」で挙兵している。遠賀おんが川水系をさかのぼって香春に入り、当城に立籠ったと推測される。貞治三年(一三六四)二月、大内弘世が当城に拠って宮方の名和顕長・菊池武勝らと合戦したという(大内氏実録)。正平二二年(一三六七)当城に籠城していた少弐冬資は宮方の菊池武光に属した肥前の国人大島刑部丞らの攻撃を受け、七月二日に落城した(同年八月二八日「征西将軍宮令旨」九州大学文学部所蔵来島文書/南北朝遺文(九州編)四、「歴代鎮西志」)。応永一二年(一四〇五)九州探題渋川満頼の命を受けた大内盛見は、一一月八日に鳥越とりごえ(現北九州市小倉北区)、続いて当城の一ノ岳・二ノ岳およびうまたけ(現犀川町)を攻め落し、鏡山かがみやま付近に陣をとった(一一月一七日「渋川満頼書状」詫摩文書/大分県史料一二)。永禄二年(一五五九)六月豊前・筑前二ヵ国の守護に任ぜられた大友義鎮(宗麟)は、七月二二日に配下の田原親宏らに仲津なかつ郡の西郷遠江守の城を攻め落させ、さらに攻囲中の毛利方の「高春岳」城や門司もじ(現北九州市門司区)花尾はなのお(現北九州市八幡東区)の応援に向かうよう依頼している(八月二一日「大友義鎮感状」大友家文書録/大分県史料三二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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