20世紀日本人名事典 「香田清貞」の解説 香田 清貞コウダ キヨサダ 昭和期の陸軍歩兵大尉 生年明治36(1903)年9月4日 没年昭和11(1936)年7月12日 出生地佐賀県三日月村 学歴〔年〕陸士〔大正14年〕卒 経歴大正14年陸軍歩兵少尉に任官、歩兵第1連隊付となる。昭和9年大尉となり、10年末まで支那駐屯軍で北支の警備に当たり、同年12月歩兵第1旅団副官に転任となる。11年の2.26事件に事件指導者の一人として反乱軍主力部隊を率いた。当日、部下の丹生誠忠に主力部隊150名の指揮を委ねて陸軍大臣官邸を占拠させ、自身はすでに免官となっていた村中孝次、磯部浅一らと共に陸軍上層部との交渉に当たった。東京陸軍軍法会議の結果、死刑判決を受け、同年7月処刑された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香田清貞」の解説 香田清貞 こうだ-きよさだ 1903-1936 昭和時代前期の軍人。明治36年9月4日生まれ。陸軍大尉。昭和10年歩兵第一旅団副官となる。11年2月26日,反乱軍主力部隊をひきいて陸相官邸を占拠,村中孝次らとともに陸軍上層部との交渉にあたる(二・二六事件)。軍法会議で死刑判決をうけ,昭和11年7月12日処刑された。34歳。佐賀県出身。陸軍士官学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例