馬上 義太郎
マガミ ギタロウ
昭和期のロシア文学者
- 生年
- 明治35(1902)年9月15日
- 没年
- 昭和46(1971)年1月6日
- 出生地
- 東京・浅草千束町
- 学歴〔年〕
- 東京外国語学校専修科〔昭和6年〕卒
- 経歴
- ナウカ社入社。兵役で中国北部出征、帰国後陸軍参謀本部外郭団体の嘱託としてソ連の新聞、放送の翻訳に従事。戦後東京都千代田区役所に定年まで勤務。その間、夜はソ連映画・演劇の翻訳をし、晩年は児童・動物文学の訳書を多く出した。訳書にイエズイトフ「ソヴェトロシア映画芸術史」、プドフキン「映画俳優論」「ソヴェトの映画」、スミルノフ「シェークスピア、その世界観と芸術」、スタニスラフスキー「芸術手記」、キオ「私は魔術師」、チャプリーナ「愛の動物記」など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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馬上義太郎 まがみ-ぎたろう
1902-1971 昭和時代のロシア・ソビエト文学者。
明治35年9月15日生まれ。はじめナウカ社につとめ,戦時中はソ連の放送,新聞の翻訳に従事。戦後は東京都千代田区役所に勤務。ソ連の映画・演劇の紹介・翻訳や児童・動物文学の翻訳で知られる。昭和46年1月6日死去。68歳。東京出身。東京外国語学校卒。訳書にプドフキン「映画俳優論」,ザハーバ「俳優芸術の原理」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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