日本大百科全書(ニッポニカ) 「プドフキン」の意味・わかりやすい解説
プドフキン
ぷどふきん
Всеволод Илларионович Пудовкин/Vsevolod Illarionovich Pudovkin
(1893―1953)
ソ連の映画監督、俳優、理論家。2月6日ボルガ地方のペンザに生まれる。モスクワ大学理学部に学び、第一次世界大戦に従軍、1920年第一国立映画学校に入り、俳優、脚本家、助監督、美術係などを経験する。1922年クレショフ工房に参加、俳優として協力する一方、クレショフのモンタージュ実験に大きな影響を受ける。監督としては短編喜劇『チェス狂』(1925、共同監督)、パブロフ学説の映画化『頭脳のはたらき』(1926)を経て、ゴーリキー原作による長編劇映画『母』(1926)で一躍名声を得る。『母』は、俳優の優れた演技、細かい画面構成と編集、力強い群集シーン、暗示的モンタージュなどによって、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925)と並ぶサイレント映画期の古典となった。以後、『聖ペテルブルグの最後』(1927)、『アジアの嵐(あらし)』(1928)と力作を発表、エイゼンシュテインのよきライバルとなって理論的著作でも国際的に知られるようになった。トーキー第一作は『脱走者』(1933)だが、1930年代後半からは社会主義リアリズム路線のため実験色を薄め、『スウォーロフ』(1941)、『ナヒモフ提督』(1946)ほか、もっぱら伝記映画の領域へ移ってしまった。著作の『映画監督と映画の材料』『映画脚本論』(ともに1926)、『映画俳優論』(1934)は各国語に翻訳され親しまれた。6月30日リガに没。
[岩本憲児]
資料 監督作品一覧
チェス狂[ニコライ・シピコフスキーとの共同監督] Shakhmatnaya goryachka(1925)
頭脳のはたらき Mekhanika golovnogo mozga(1926)
母 Mat(1926)
聖ペテルブルクの最後 Konets Sankt-Peterburga(1927)
アジアの嵐 Potomok Chingis-Khana(1928)
脱走者 Dezertir(1933)
スウォーロフ Suvorov(1941)
祖国の名において Vo imya rodiny(1943)
ナヒモフ提督 Admiral Nakhimov(1946)
三つの邂逅(かいこう) Tri vstrechi(1949)
ワシーリー・ボルトニコフの帰還 Vozvrashcheniye Vasiliya Bortnikova(1952)
『馬上義太郎訳『映画俳優論』(1952・未来社)』