改訂新版 世界大百科事典 「馬埒殿」の意味・わかりやすい解説
馬埒殿 (ばらちでん)
長岡宮,平安宮の馬場の正殿。818年(弘仁9)4月に平安宮で宮殿,院堂の名称を改めた際に武徳殿(ぶとくでん)と改称。現行の《日本後紀》《類聚国史》などの諸書には〈馬殿〉と記すが,は埒の俗字で,埒が正しい。埒は正しくは〈れつ〉で,〈らち〉は国訓。馬埒は馬場の柵を意味し,騎射を行う際に武徳殿前に設けた南北方向の2列の柵を指すものであろう。毎年恒例の5月5日の端午の節会の騎射を行い,正月17日の大射や7月7日の相撲の節会を行ったこともある。長岡宮では793年(延暦12)7月に1度みえるだけで詳細は不明。平安宮では795年5月にその存在が確認できるから,遷都とともに造営されたものであろう。所在地は武徳殿と同じく殷富門の内側と思われる。807年(大同2)5月宮城の北野に移転し馬台を設けるが,すぐに元の所にもどされる。817年5月を最後に記録にみえない。
執筆者:今泉 隆雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報