高之林城跡(読み)たかのはやしじようあと

日本歴史地名大系 「高之林城跡」の解説

高之林城跡
たかのはやしじようあと

[現在地名]山城町大字上狛 大谷

上狛かみこまから東へ約二・五キロの南北の尾根頂上(一八三・一メートル)城山しろやまに位置する。上狛―神童子じんどうじ三上さんじよう山―こまつじ白栖しらすと通じる尾根道の古道にあたり、北は山地、西・南・東の三方は開け、木津きづ川・伊賀街道・奈良街道を押える要衝の地にあった。東山ひがしやま城ともいう。

大乗院寺社雑事記」文明一五年(一四八三)四月一七日条に「上津狛下司自夜前合戦、息男両人被打了、数十人打死云々、今暁自焼没落、付佐川之手云々」とあり、「春日社記録」「東寺執行日記」「親長卿記」などにも同内容の記事がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む