高元度 (こうげんど)
奈良時代の官僚。生没年不詳。高句麗あるいは百済出身の渡来人の子孫か。759年(天平宝字3)遣唐使藤原清河を迎える使となり,渤海使楊承慶の送使を兼ねて,渤海をへて入唐した。761年帰国に当たり兵仗の見本,甲冑,伐刀,槍,矢などを授かったが,唐帝玄宗の勅により清河らはとどまり,元度らのみが蘇州から南路をとり,唐使沈惟岳らに送られて大宰府に着いた。帰国後,参河守,左平準令などを歴任した。
執筆者:鈴木 靖民
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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高元度 こう-げんど
?-? 奈良時代の官吏。
天平宝字(てんぴょうほうじ)3年(759)遣唐使藤原清河(きよかわ)をむかえる使節として唐(とう)(中国)にわたる。清河は皇帝粛宗(しゅくそう)の命により唐にとどめられ,5年元度らだけが甲冑(かっちゅう),槍などをさずけられて帰国。のち三河守(かみ),左平準令を歴任した。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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