改訂新版 世界大百科事典 「高剣父」の意味・わかりやすい解説 高剣父 (こうけんふ)Gāo Jiàn fù生没年:1879-1951 中国現代の画家。名は崙,字は爵庭,剣父は号。広東省番禺県の人。嶺南派の父といわれる。嶺南大学卒業後,居廉(きよれん)(広東の画家)について画を学び,山水,花鳥画に秀でた。日本に留学して白馬会や太平洋画会に入って日本の洋画を研究した。伝統の中国画と新進の日本洋画との融合をはかり,新文人画を提唱した。沈深蒼勁な筆勢によって近代的リアリズム絵画を樹立し,嶺南派の領袖となった。乾筆と枯墨による書作は流麗な中に枯淡の味をかもしだしている。三男の高奇峰と四男の高剣僧とともに高家の三傑として有名である。執筆者:遠藤 光一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高剣父」の解説 高剣父 こう-けんふ 1879-1951 中国の画家。光緒5年生まれ。広東の居廉にまなんだのち日本に留学し,白馬会や太平洋画会で洋画をまなんだ。帰国後,辛亥(しんがい)革命運動にくわわる。新文人画をとなえた嶺南画派の第一人者。弟の奇峰と剣僧も画家。享年73歳。広東省出身。嶺南大卒。名は崙。字(あざな)は鵲庭。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by