デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高向麻呂」の解説 高向麻呂 たかむこの-まろ ?-708 飛鳥(あすか)時代の公卿(くぎょう)。高向国押の子。天武天皇13年遣新羅(しらぎ)大使となり,新羅(朝鮮)にいく。翌年学問僧観常らをともなって帰国,新羅王の献上物をもたらした。中納言となり,摂津大夫(だいぶ)をかねた。従三位。和銅元年閏(うるう)8月5日死去。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「高向麻呂」の解説 高向麻呂 没年:和銅1.閏8(708) 生年:生年不詳 7世紀後半の公卿。国押の子。摩呂とも書く。天武天皇10(681)年小錦下を授けられ,13年遣新羅大使に任命され新羅に赴いた。大宝2(702)年には朝政への参議を命じられ,慶雲2(705)年には中納言。和銅1(708)年摂津大夫となった。死去時は従三位。 (橋本義則) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by