日本歴史地名大系 「高富村」の解説 高富村たかとみむら 岐阜県:山県郡高富町高富村[現在地名]高富町高富鳥羽(とば)川下流左岸にあり、南に源太(げんた)峰がある。鳥羽川左岸や東の太郎丸(たろうまる)(現岐阜市)に至る街道沿い、および源太峰北麓に集落が多い。鳥羽川沿いに大桑(おおが)や伊自良(いじら)(現伊自良村)方面に行く街道があり、交通の要所であった。山麓に六基の円墳があり、大宝二年(七〇二)一一月日の御野国山方郡三井田里戸籍(正倉院文書)に載る三井田(みいた)里は、当地域も含んでいたと推定される。杉山家覚書(山県郡志)には、承安三年(一一七三)「山県郡春近庄高富郷」とあるが、山県郡春近(はるちか)庄の存在には異論もあり、疑問がある。永禄一一年(一五六八)七月日の深尾二郎兵衛宛の織田信長朱印状写(深尾文書)に「八拾弐貫文 たかと見」とある。 高富村たかどみむら 埼玉県:北葛飾郡吉川町高富村[現在地名]吉川町高富木売(きうり)村の南に位置し、村の西を古利根川、村内中央を二郷半領(にごうはんりよう)用水が貫流する。田園簿に村名がみえ、田高三九五石余・畑高六七石余で、幕府領、ほかに野銭永二二文。元禄八年(一六九五)の検地で富(とみ)新田を分村したと伝えられ(風土記稿)、元禄郷帳で高三九〇石余となっている。野銭は古利根川堤外の河原を柳原(やなぎはら)と称して課したものである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報