高山浦(読み)たかやまうら

日本歴史地名大系 「高山浦」の解説

高山浦
たかやまうら

[現在地名]明浜町高山たかやま宮野浦みやのうら田之浜たのはま

東は狩浜かりはま浦に接し、西は大崎鼻おおさきばなに至る。宇和海沿いに東から本浦宮野浦・田之浜の三集落がある。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「高山浦 岩山之茅山有」とある。

太閤検地(天正一五年―文禄三年)石高は二四三石、耕地面積の比率は田七四パーセント、畑二六パーセント。田が多いのは本浦付近平坦部の水田開発が進んでいたためであろう。寛文検地(寛文一〇―一二年)では石高は一・一倍にとどまるが、田畑の比率は田二七パーセント、畑七二パーセントと大きく変化しており、段々畑の開発が大きく進んだことがわかる。「墅截」による村柄は「中」、田畑とも「上」、水掛り「中」である。鬮持制実施期(寛文一三年―寛保三年)の本百姓一人前耕地は本浦は田二反三畝一二歩、畑七反三畝一五歩、田之浜は田二反二畝、畑二反六畝六歩である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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