高山銀絞吹所跡(読み)たかやまぎんこうふきしよあと

日本歴史地名大系 「高山銀絞吹所跡」の解説

高山銀絞吹所跡
たかやまぎんこうふきしよあと

[現在地名]高山市吹屋町

江名子えなこ川の西に位置し、東の表門島川原しまかわはら町通に、西は馬場ばば通、北は素玄寺そげんじ通に面していた。安政二年(一八五五)飛騨国諸鉱山の荒銅鉛を集めて銀絞りをするため、二二代郡代福王三郎兵衛忠篤により一之町いちのまち馬場通に建設された。嘉永元年(一八四八)有力山師の中切なかぎり村勘右衛門(直井家)尾崎おさき(現益田郡萩原町)清吉(伊藤家)が、馬場通の畑地を借り吹屋を開設したが、同五年の失火で全焼し経営も不振であったために廃止された(「町年寄願書留」高山市立郷土館蔵)。同五年郡代に就任した福王は、翌六年に山元稼人へ高山吹所の設置を通告したが、山元の激しい反対で撤回した。ついで安政二年に再び吹所設置を山元に告げ、郡代の試みのための私手限りと称して馬場通に仮吹屋を設置、幕府の公認後は馬場吹所とよばれた(「御留書」新井文書)。発足当初は東西一一間・南北一九間の敷地に、請負人である益田ました一之宿いちのしゆく(現大野郡朝日村)名主中島清左衛門、高山一之町村山下屋喜助、同三之町村近藤屋勘十郎・早川屋清吉の共同出資で設備がととのえられ、用材はみや(現同郡宮村)の御料林から払下げられた。翌三年には吹屋の用水照蓮しようれん寺非常用水として江名子川の水を引く水路が請負人負担でつくられ、さらに同五年には敷地も東西二〇間・南北二三間と拡大され、銅方と鉛方の分業施設、管理・取締の設備も完備された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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