20世紀日本人名事典 「高島義恭」の解説 高島 義恭タカシマ ヨシタカ 明治・大正期の実業家 生年嘉永6年(1853年) 没年大正15(1926)年11月8日 出生地肥後国熊本内坪井町(熊本県) 経歴藩校時習館に学ぶ。明治10年西南戦争で西郷軍に加わり敗北、帰順し広島監獄に入れられた。出獄後、佐々友房らと紫溟会を組織して政治運動をおこす。のち実業界に投じ、大阪商船会社を経て、福岡県門司に築港会社を設立、取締役に就任。24年細川旧藩主の家扶となり、同家の財政の基礎を確実なものにした。31年細川家家扶を辞し、朝鮮釜山埋築会社を組織。埋築竣成の後、釜山港と釜山市街の繁華の基礎をつくり、その記念として高島町の名を残した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高島義恭」の解説 高島義恭 たかしま-よしたか 1853-1926 明治-大正時代の実業家。嘉永(かえい)6年生まれ。西南戦争で西郷軍にくわわり,敗れて入獄。出獄後佐々友房らと紫溟(しめい)会を組織して政治運動をおこなう。のち実業界に転じ,門司築港会社を創立して取締役となり,明治35年朝鮮釜山埋築会社を設立した。大正15年11月8日死去。74歳。肥後(熊本県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by