高嶋米峰(読み)タカシマ ベイホウ

20世紀日本人名事典 「高嶋米峰」の解説

高嶋 米峰
タカシマ ベイホウ

明治〜昭和期の宗教家,教育家,随筆家,評論家 元・東洋大学学長



生年
明治8年1月15日(1875年)

没年
昭和24(1949)年10月25日

出生地
新潟県中頸城郡吉川村

別名
幼名=大円

学歴〔年〕
哲学館(現・東洋大学)教育学部〔明治29年〕卒

経歴
井上円了の著作助手として母校の機関誌「東洋哲学」の編集にたずさわる。のち短期間北国新聞社記者となるが、まもなく帰京して元の職業に戻るとともに中学講師となる。32年新仏教同志会を結成し、33年大日本廃娼会に参加。33年「新仏教」を創刊。34年鶏声堂書店を開業。35年「日本歴史譚」を匿名刊行。39年丙午出版社を設立。大正元年「漢詩」を創刊。大正6年東大に印度哲学講座を開く。その後もいろいろな学校の講師や役員を経て東洋大学教授に就任、学長をも歴任した。著書に「般若心経講話」「一休和尚伝」「物の力心の力」「高嶋米峰自叙伝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「高嶋米峰」の意味・わかりやすい解説

高嶋米峰 (たかしまべいほう)
生没年:1875-1949(明治8-昭和24)

真宗学僧。新潟県竹直村の西本願寺派真照寺に生まれる。京都の宗立文学寮を経て,1896年哲学館(現,東洋大学)卒業。のち同大学教授,学長,顧問を歴任。91年禁酒運動の反省会に入り,99年境野黄洋らと仏教清徒同志会を結成。翌年機関誌《新仏教》を刊行,既成仏教教団を批判し,迷信否定,自由討究,社会改善等をめざす新仏教の建設をはかり,また丙午出版社をおこして哲学・宗教書を出版した。1900年以後は廃娼運動や政府が議会に提出した宗教法案の反対運動にも尽瘁し,大正以後は神仏基三教合同問題,対中国仏教布教権問題,東京大学印度哲学講座設置問題等にも活動した。著書は《聖徳太子正伝》《高嶋米峰自叙伝》等数多い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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