高松塚古墳(読み)タカマツヅカコフン

デジタル大辞泉 「高松塚古墳」の意味・読み・例文・類語

たかまつづか‐こふん【高松塚古墳】

奈良県高市郡明日香村にある7世紀末か8世紀初めの円墳。男女の従者像や青竜白虎玄武・星座などの極彩色の壁画が昭和47年(1972)に発見された。国の特別史跡

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共同通信ニュース用語解説 「高松塚古墳」の解説

高松塚古墳

奈良県明日香村にある円墳。1972年に「飛鳥美人」と呼ばれる西壁女子群像などの人物群像や、四神などの極彩色壁画が国内で初めて見つかり、全国的に注目された。壁画は文化庁による管理で非公開とされ、現地で保存されてきたが、2004年に劣化判明。07年に修復のために石室ごと解体する異例の措置が取られ、同村の修復施設でクリーニング作業が続く。文化庁の検討会で、修復完了後も墳丘内に戻さない方針が決まっており、古墳近くに展示ができる保存施設を整備する方向で議論が進んでいる。

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精選版 日本国語大辞典 「高松塚古墳」の意味・読み・例文・類語

たかまつづか‐こふん【高松塚古墳】

  1. あすかたかまつづか(飛鳥高松塚)

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日本歴史地名大系 「高松塚古墳」の解説

高松塚古墳
たかまつづかこふん

[現在地名]明日香村大字上平田

平田ひらたの西南部、文武天皇檜隈安古岡上ひのくまのあこのおかのへ陵から北に延びる丘陵にある古墳で、江戸時代に文武天皇陵に擬定されたこともある。昭和四七年(一九七二)三月、橿原考古学研究所・明日香村により調査、壁画の発見で同年一〇月には文化庁も調査を実施した。

古墳は径約一六メートル、高さ約五メートルの円墳であり、墳丘は版築をもって築成。墳丘の南側には墓道があり、その作業面に敷板の痕跡が四条あった。墓道の正面には凝灰岩の切石を組合せた横口式石槨があり、その南側石の外より向かって右上に盗掘坑があった。

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改訂新版 世界大百科事典 「高松塚古墳」の意味・わかりやすい解説

高松塚古墳 (たかまつづかこふん)

飛鳥時代後半の壁画古墳奈良県高市郡明日香村平田の丘陵南斜面にある直径約20m,高さ約5mの小円墳で,1972年発掘された。墳丘は土質の異なる土を互層につき固めた版築積みで,中央に凝灰岩製の石棺式石室を築き,石室前の墓道には方形の礼拝石を置く。石室内部の全壁面にしっくいを塗り,東壁中央に青竜,西壁中央に白虎,北壁に玄武(南壁には朱雀が描かれていたと推定されるが剝落している)の四神を配し,青竜の上に日輪,白虎の上に月輪を配する。東西壁の手前には男性4人,後方に女性4人の群像,また天井および側壁面には円形の金箔を朱線で結んだ星宿を描く。石室内の漆塗木棺の表面には金箔を貼る。棺の装飾として,金銅製の透し飾金具,円形飾金具と,鐶座金具の八角形座金具が出土した。副葬品は白銅製海獣葡萄鏡,銀装大刀外装具,ガラス玉,琥珀玉がある。人骨は熟年男性1体があった。石室前には壁画保存の施設を作り,壁画は現状のまま保存している。江戸時代文武陵に推定された時,墳頂に1本の松があったところから,高松塚の名がある。
執筆者: 壁画の発見は,考古学にとどまらず古代史,美術史など関連学界に多くの影響を与えたが,ことに極彩色の四神,男女群像また星宿の壁画は,中国初唐末706年(神竜2)の永泰公主墓壁画中の男女群像や,朝鮮半島高句麗の墳墓壁画中の四神図などとの深い関係を示すものとして注目された。さらに壁画中に見いだされる文様や壁画技法には,法隆寺金堂壁画に共通する点が多く,その製作年代や各モティーフの源流を考えるうえで重要である。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高松塚古墳」の意味・わかりやすい解説

高松塚古墳
たかまつづかこふん

飛鳥(あすか)の古墳を代表する7世紀末~8世紀初頭の壁画古墳。特別史跡。奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村平田の丘陵南斜面に築かれた直径約20メートル、高さ約5メートルの円墳。

 埋葬の施設は墳丘中央で南に開口する凝灰岩製の石棺式石室。内法(うちのり)は長さ265.5センチメートル、幅103.5センチメートル、高さ113.4センチメートル。石室内部の壁、天井、床に漆食(しっくい)を塗り、東・西・北壁と天井に壁画を描く。東壁の中央に青竜(せいりゅう)、上に日像、南に男子4人群像、北に女子4人群像。西壁も中央に白虎(びゃっこ)、その上に月像を配し、南に男子4人群像、北に女子4人群像、また北壁の中央に玄武(げんぶ)を描く。天井には径9ミリメートルに切り抜いた金箔(きんぱく)を星とし、朱線で結ぶ星宿をつくる。

 石室前には中軸線上に幅3メートルの墓道が墳丘外へと開き、石壁扉石より南5メートルには発掘の動機となった方形切り石の礼拝石がある。石室を覆う墳丘土は土質の異なる盛土(もりつち)を互層に叩(たた)きしめた版築で築く。石室西寄りに出土した漆塗り木棺は内面を白土の下地に朱彩。外面は漆膜上に金箔を貼(は)る。人骨は熟年男性一体分があった。棺は装飾されたらしく、金銅製の透飾金具、円形飾金具、金銅製座金具がある。中世に盗掘にあったが、残された副葬品は白銅製海獣葡萄鏡(ぶどうきょう)、銀装大刀外装具、ガラス玉、琥珀(こはく)玉があった。出土品は国立飛鳥資科館で展示している。

 1972年(昭和47)3月の壁画発見は、考古学、古代史、美術史をはじめ、関連分野にも多くの影響を与えた。また社会的にも関心が集まり、壁画保存のため保存科学の総力をあげた保存施設がつくられた。古墳横に壁画の模写を展示する高松塚壁画館がある。

[猪熊兼勝]

『猪熊兼勝・渡辺明義編『高松塚古墳』(『日本の美術217』1984・至文堂)』『高松塚総合学術調査会編『高松塚古墳壁画』(1974・便利堂)』

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百科事典マイペディア 「高松塚古墳」の意味・わかりやすい解説

高松塚古墳【たかまつづかこふん】

奈良県高市郡明日香村,文武天皇と天武・持統天皇陵との間にある,7世紀末―8世紀初めの古墳(特別史跡)。1972年3月の発掘調査で群像を描いた彩色の壁画が発見され,注目の的となった。高さ5mの円墳の下にある長方形の石槨(せっかく)内部には,人物図のほかに四神図,星宿図が描かれ,大陸文化移入の事情を研究するための重要な資料を提供した。壁画(1974年国宝指定)の婦人像は,唐や高句麗の古墳壁画との類似,また正倉院宝物の《樹下美人図》や《天寿国繍帳》の像との類似がみられる。現在は密閉され,模写された壁画(1974年完成)のみ見学できる。2005年,文化庁は劣化が進む壁画の修復保存策として,墳丘を掘って壁画の描かれた石室を取り出す石室解体案を採用することにした。文化財の現地保存主義を転換する異例の措置となる。
→関連項目明日香[村]キトラ古墳四神末永雅雄装飾古墳白鳳文化

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国指定史跡ガイド 「高松塚古墳」の解説

たかまつづかこふん【高松塚古墳】


奈良県高市郡明日香(あすか)村平田にある7世紀末から8世紀初めの古墳。国営飛鳥歴史公園内にある。1972年(昭和47)に石室から極彩色の壁画が発見され、一躍注目されるようになり、同年に国の史跡に、1973年(昭和48)には特別史跡に指定された。現在は保存科学的管理のもとに密閉保存されている。古墳時代終末期の円墳で、下段の直径約23m、上段の直径約18mの2段式小円墳である。中央に石室があり、石室内部(奥行き2.6m、幅1m、高さ1.1m)には、星辰(星宿)図、日月像、および四神図(青龍・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)・朱雀(すざく))、人物群像(女子群像、男子群像)が描かれ、唐や高句麗(こうくり)の影響がうかがえる。石室壁画は絵画として国宝に指定されている。近くの高松塚壁画館には、壁画の検出当時の現状模写、一部復元模写、再現模造模写、墳丘の築造状態、棺を納めていた石槨(せっかく)の原寸模型、副葬されていた太刀飾り金具、木棺金具、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)などのレプリカを展示し、高松塚古墳の全貌をわかりやすく再現している。近畿日本鉄道吉野線飛鳥駅から徒歩約15分。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高松塚古墳」の解説

高松塚古墳
たかまつづかこふん

奈良県明日香村上平田にある古墳終末期の円墳。石室に四神,星宿(せいしゅく)と人物像の彩色壁画が描かれていたことで著名。奈良盆地南部の丘陵上に築かれ,直径18m,高さ5mある。1972年(昭和47)の調査で凝灰岩の切石をくみあわせた石棺式石室が発見された。石室は長さ2.7m,幅1m余,高さ1.2mの内法をもち,墳丘は版築(はんちく)している。壁画は内壁に漆喰(しっくい)を塗った上に描かれ,東壁に青竜と日輪,西壁に白虎と月輪,奥壁に玄武(げんぶ)があり,南壁の朱雀(すざく)は欠落している。東西両壁の手前に4人の男性,後方に4人の女性を華麗に配し,天井から側壁にかけて金箔の点を朱線で結んで星宿を表す。漆塗木棺・棺金具・金銅八花形透彫飾金具・海獣葡萄鏡・銀装飾大刀・玉類が出土した。壁画の表現技法は中国・朝鮮半島の壁画古墳と関係が深い。7世紀末~8世紀初頭の築造とみられる。国特別史跡。壁画は国宝,文部科学省保管。出土品は重文。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高松塚古墳」の意味・わかりやすい解説

高松塚古墳
たかまつづかこふん

奈良県高市郡明日香村平田字高松にある円墳。直径約 18m,高さ約 5mで,古墳時代末期のものと思われる。 1972年3月凝灰岩切り石による石槨 (せっかく) が発見された。石槨内の壁面は漆喰が塗られ,その上に彩色による人物像や四神図などが描かれていた。乾漆木棺片や海獣葡萄鏡,大刀装具などが出土。壮年男子1体を埋葬したといわれる。古代中国,朝鮮,日本の関係を知る貴重な資料である。 1973年 10月国宝に指定。

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旺文社日本史事典 三訂版 「高松塚古墳」の解説

高松塚古墳
たかまつづかこふん

奈良県高市郡明日香村にある装飾古墳
1972年の発掘調査により,7世紀末から8世紀初めころ描かれたとみられる,美しい壁画が石槨内部の天井や壁から発見された。

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世界大百科事典(旧版)内の高松塚古墳の言及

【奈良時代美術】より


【絵画】
 彫刻に比して絵画の遺品は皆無に近い。おもなものに仏画では法隆寺金堂壁画,世俗画では高松塚古墳の壁画があるにすぎない。法隆寺金堂壁画の制作年代には諸説あるが,現存する黄地平絹幡(ばん)(法隆寺献納宝物)が持統6年(692)に法隆寺へ献納されたとの銘文をもち,《法隆寺資財帳》が同7年に天蓋を,同9年に金光明経を法隆寺に下賜されたと伝えるなど,この時期に関係史料が集中している。…

※「高松塚古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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