日本大百科全書(ニッポニカ) 「高柳又四郎」の意味・わかりやすい解説
高柳又四郎
たかやなぎまたしろう
(1808―?)
幕末の名剣士。名は義正(よしまさ)または利辰(としとき)。飛騨(ひだ)郡代を勤めた高柳左京亮定用(さきょうのすけさだちか)の二男。高柳の家は戸田(とだ)流の小太刀(こだち)を家伝とし、祖父の定常(さだつね)は、梶(かじ)派一刀流・東軍新当(とうぐんしんとう)流を兼修して、一派を称するほどの腕前であったという。又四郎は幼少から父について家伝の小太刀を学んだが、1823年(文政6)16歳のとき、回国修行のため出奔し、やがて奥州水沢(みずさわ)在の藤木兵助道満(へいすけどうまん)(1748―1827)方に至り、これに師事すること3年、戸田流林田(はやしだ)派15代の免許を授けられた。のち江戸に出て直心影(じきしんかげ)流男谷(おだに)精一郎に随身し、さらに一刀流の中西道場で技(わざ)を磨き、寺田五右衛門宗有(むねあり)・白井亨(しらいとおる)とともに「中西門の三名人」とよばれた。
[渡邉一郎]