高梨町(読み)たかなしちよう

日本歴史地名大系 「高梨町」の解説

高梨町
たかなしちよう

[現在地名]小田原市ほん町二―三丁目・はま町三丁目

よろつ町の西、宮前みやまえ町の東、東海道沿いの通町で、北に向かう甲州道の起点

「永代日記」承応三年(一六五四)八月二八日の火事の記事に町名がみえる。高梨子町とも記す。「風土記稿」が小名鎌倉屋舗かまくらやしきを小田原北条氏滅亡後江戸に移住したと伝えられる町人鎌倉屋四郎右衛門の持地とするところからみて、町は戦国時代の成立か。江戸時代にもその一族と思われる上層町人の鎌倉屋が「永代日記」に登場する。承応二年には藩預の公儀銭の運搬を命ぜられた鎌倉屋六左衛門、旅宿の鎌倉屋六郎右衛門、寛文元年(一六六一)町年寄で、延宝三年(一六七五)金井島かないしま(現足柄上郡開成町)田地を買得した石内六郎右衛門がみえる(「借用証文」開成町瀬戸文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報