高橋敬一(読み)たかはし けいいち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋敬一」の解説

高橋敬一 たかはし-けいいち

1836-1871* 幕末-明治時代尊攘(そんじょう)運動家,官吏
天保(てんぽう)7年7月13日生まれ。家は代々豊後(ぶんご)(大分県)速見郡亀川村の庄屋をつとめる。帆足万里にまなび,岡藩士小河(おごう)一敏らとまじわる。長三洲をかくまい入獄。維新後,日田県知事の松方正義に登用されたが,農民一揆(いっき)鎮圧の際に重傷を負い,明治3年11月20日死去。35歳。名は重煕。通称ははじめ広太郎,万之進。号は亀陽。

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367日誕生日大事典 「高橋敬一」の解説

高橋敬一 (たかはしけいいち)

生年月日:1836年7月13日
江戸時代末期;明治時代の庄屋
1871年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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