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高橋正作 たかはし しょうさく

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高橋正作 たかはし-しょうさく

1803-1894 江戸後期-明治時代の農業指導者。
享和3年10月28日生まれ。出羽(でわ)雄勝郡(秋田県)桑ケ崎村,横堀村親郷の肝煎(きもいり)。久保田藩がすすめた養蚕業の振興や荒れ地の開拓につとめ,維新以降も農業技術の指導にあたった。明治27年6月23日死去。92歳。本姓は千葉。初名は新蔵,のち常作。著作に「飢歳懐覚録」など。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

高橋正作

没年:明治27.6.23(1894)
生年:享和3.10.28(1803.12.11)
江戸後期から明治前期の秋田の農事指導者。出羽国雄勝郡松岡村(湯沢市)肝煎の千葉治兵衛の次男。幼名新蔵,のち常作,正作と改めた。同郡桑ケ崎村の肝煎高橋利右衛門の養子となり,文政9(1826)年には肝煎となる。奥州,北越,関東を巡回して農事を学び,天保4(1833)年の大飢饉には私財を投じて村民を救済,秋田藩より救民係,農事奨励係に任ぜられた。また養蚕業の発展に尽力,弘化年間(1844~48)米沢の篤農植木四郎兵衛につき桑苗取立を学び帰国後普及に努めた。明治11(1878)年秋田県勧業掛となり農事指導に当たり,『除稲虫之法』『農業随録』など農書の著作も多い。

(田口勝一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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