朝日日本歴史人物事典 「高橋正作」の解説
高橋正作
生年:享和3.10.28(1803.12.11)
江戸後期から明治前期の秋田の農事指導者。出羽国雄勝郡松岡村(湯沢市)肝煎の千葉治兵衛の次男。幼名新蔵,のち常作,正作と改めた。同郡桑ケ崎村の肝煎高橋利右衛門の養子となり,文政9(1826)年には肝煎となる。奥州,北越,関東を巡回して農事を学び,天保4(1833)年の大飢饉には私財を投じて村民を救済,秋田藩より救民係,農事奨励係に任ぜられた。また養蚕業の発展に尽力,弘化年間(1844~48)米沢の篤農植木四郎兵衛につき桑苗取立を学び帰国後普及に努めた。明治11(1878)年秋田県勧業掛となり農事指導に当たり,『除稲虫之法』『農業随録』など農書の著作も多い。
(田口勝一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報