高橋鑑種 たかはし-あきたね
?-1579 戦国-織豊時代の武将。
大友宗麟(そうりん)につかえ筑前(ちくぜん)(福岡県)岩屋城,宝満城の城主となる。永禄(えいろく)4年毛利氏とむすんで反乱をおこし,10年立花鑑載(あきとし)をたすけて大友氏とたたかう。12年大内輝弘の山口侵攻で毛利軍が撤退したため筑前から追放され,豊前(ぶぜん)小倉城(福岡県)にうつった。天正(てんしょう)7年死去。本姓は一万田。名は「かねたね」ともよむ。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の高橋鑑種の言及
【高橋元種】より
…筑前の有力武将[秋月種実]の弟。豊前小倉城主高橋鑑種(あきたね)の養子。1579年(天正7)鑑種が反大友の兵を挙げ,田川郡香春岳(かわらだけ)城を入手するとその城主となり,84年には種実・日田親永と盟を結び,島津氏北上に応じた。…
※「高橋鑑種」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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