朝日日本歴史人物事典 「高橋鑑種」の解説
高橋鑑種
生年:生年不詳
戦国時代の武将。左衛門尉,三河守。法名宗仙。大友氏の家臣一万田親泰の子で,高橋氏の養子となる。弘治3(1557)年の大内義長の滅亡後,筑前岩屋城・宝満城(福岡県太宰府市)の城督となり,大友氏の筑前支配の要となる。しかし,のちに毛利氏に内通し,大友宗麟に敵対。永禄12(1569)年,毛利氏と大友氏が和睦すると,毛利氏から豊前小倉城(北九州市)を与えられた。反大友派秋月種実の子元種を養子に迎え,天正6(1578)年の耳川の戦で島津氏に敗れた大友氏に再び敵対したが,まもなく没した。<参考文献>木村忠夫「高橋鑑種考」(『日本歴史』240号)
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報