高津 多代子
タカツ タヨコ
大正期の社会運動家
- 生年
- 明治30(1897)年1月10日
- 没年
- 大正14(1925)年12月14日
- 出生地
- 広島県豊田郡椹梨村
- 旧姓(旧名)
- 岸槌
- 学歴〔年〕
- 甲山女学校卒
- 経歴
- 地主・岸槌信太郎の長女として生まれ、隣郡の寺の住職・高津正道と結婚し、大正7年共に上京。夫が社会運動で早稲田大学を退学になり暁民会を結成、自宅を事務所とし、日本社会主義同盟の幹部となった9年頃から多代子も社会主義運動に参加し、10年結成された女性社会主義者の組織・赤瀾会に入り活動。同年9月「お目出度こと」という文書の筆跡が似ていると夫とともに収監されたが、12月証拠不十分で釈放された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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高津多代子 たかつ-たよこ
1897-1925 大正時代の社会運動家。
明治30年1月10日生まれ。高津正道と結婚。大正9年ごろから社会主義運動に参加し,10年結成された女性社会主義者の組織赤瀾(せきらん)会にはいり活動した。大正14年12月14日死去。29歳。広島県出身。甲山女学校卒。旧姓は岸槌。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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