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赤瀾会 せきらんかい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤瀾会
せきらんかい

1921年4月に結成された日本最初の社会主義婦人団体。 20年の日本社会主義同盟に参加した婦人のうち,伊藤野枝,堺真柄,山川菊栄,橋浦春子らによって結成された。結成当時の会員は 42名。

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デジタル大辞泉の解説

せきらん‐かい〔‐クワイ〕【赤瀾会】

大正10年(1921)結成の婦人社会主義者の組織。伊藤野枝山川菊枝らを中心に急進的活動を行った。翌年、八日会と改称。

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百科事典マイペディアの解説

赤瀾会【せきらんかい】

大正期の社会主義的な婦人団体。1921年山川菊栄伊藤野枝らが女性の窮乏・無知・隷属からの解放を宣言して結成。同年のメーデーに参加し,檄文(げきぶん)を配布するなど活発な活動を行ったが,検挙投獄などの弾圧にあい,自然消滅。
→関連項目フェミニズム

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世界大百科事典 第2版の解説

せきらんかい【赤瀾会】

1921年4月に結成された婦人社会主義者団体。設立当初の会員は42人で,ほとんどが男性の社会主義者を身内にもつ女性。設立世話人は,堺真柄さかいまがら),九津見房子橋浦はる子秋月静枝の4人。顧問格で山川菊栄と伊藤野枝が加わった。綱領に〈私達は私達の兄弟姉妹を窮乏と無智と隷属とに沈淪せしめたる一切の圧制に対して断乎として宣戦を布告するものであります〉とうたい,活発な街頭活動を展開した。結成まもない同年の第2回メーデーには会員十数人が女性として初めて参加,黒地に赤で会名を記した旗を携えて示威行進し検束された。

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大辞林 第三版の解説

せきらんかい【赤瀾会】

1921年(大正10)、伊藤野枝・山川菊枝・堺真柄ら婦人社会主義者が結成した団体。婦人の啓蒙・隷属からの解放を趣旨に急進的活動を行なった。翌年、八日会と改称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤瀾会
せきらんかい

1921年(大正10)4月24日に結成された日本最初の社会主義婦人団体。橋浦(はしうら)はる子、九津見房子(くつみふさこ)、堺真柄(さかいまがら)、秋月静枝が世話役となり、山川菊栄(きくえ)、伊藤野枝(のえ)らも加わった。会の名称は、「社会主義運動の流れに小さなさざ波くらいはおこすことができるのではないか」ということからつけられたもので、婦人を「窮乏と無知と隷属とに沈淪(ちんりん)せしめたる一切の圧制」と闘うことを宣言した。前年発足した社会主義同盟に、婦人は治安警察法第5条第1項(女子の政社加入禁止)により正式加入できなかったところから生まれたものである。会員は社会主義同盟員の家族を中心に42名とされているが、名前だけの人も多く、実数は十数名という。思想的には多様で、無政府主義の影響が強かった。結成直後の第2回メーデー(1921年5月1日)に、黒地に赤くR・W(Red Waveの意)と記した旗を掲げて参加、2名が検束されて話題となった。「婦人問題講演会」「夏期講習会」などの啓蒙(けいもう)活動も行ったが、1年たらずで自然解消し、社会主義婦人運動は山川菊栄らの八日会へと引き継がれた。[米田佐代子]
『江刺昭子著『覚めよ女たち』(1980・大月書店)』

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世界大百科事典内の赤瀾会の言及

【女性運動】より

…女性労働者の運動としては,1886年に,甲府の雨宮製糸工場の女工が日本最初のストライキを行い,1916年には〈友愛会婦人部〉が設置され,女性労働者の組織化が進められた。大正デモクラシーの高揚のなかで,21年には堺(のちの近藤)真柄など社会主義者が〈赤瀾会〉を結成し,第2回メーデーには,女性としてはじめて参加した。 昭和のファシズムと第2次大戦は,女性運動をつぶしまた変質させていった。…

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